株式会社ナック 〜Professionals for Owners オーナーを支えるプロフェッショナルたち~
1971年に、ダスキンのフランチャイズ加盟店としてスタートした株式会社ナック。
1995年にジャスダック上場、2年後に東証二部、その2年後に東証一部上場という驚異的なスピードで成長を続けている企業です。
西山様は、その後2年で経団連の正会員に、さらにその2年後には経団連理事になりました。
日本国天皇から「紺綬褒章」を受賞されています。
創業以来、様々な分野の事業を展開するコングロマリット企業(複合企業)として、1000億円に届く売上規模にまで成長した同社には、つねに「革命」というキーワードがあります。
経営環境の変化が続くなか、安定成長を遂げてきた背景にはどのようなことがあるのか、創業者であり名誉会長である西山由之氏にお話をうかがいました。
よい商品を求めて渡米。見つけたのは「コングロマリット」という方法だった
ダスキンのフランチャイズ加盟店からスタートして、現在では複数の事業を経営されています。異業種の事業を展開していこうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
ダスキンのフランチャイズを始めたときは、4畳半の事務所でした。
それがぐんぐん大きくなって60坪の事務所になり、たくさんの従業員を抱えるようになりました。
その頃、たまたまテレビを見ていたら、関西の漫才で「親ガメこけたら、子ガメ、孫ガメ、ヒ孫ガメみなこけた!」っていうギャグをやっていたんですね。
日本中が大笑いするほどブームになったんですが、そのときに「笑っていいのかな」って思ったんですよ。
自分はダスキンのフランチャイズなので、本部が親ガメで自分は子ガメ。
その支店が孫ガメだとすれば、自分のところだけは絶対にこけられない。
もしこけたら、従業員が路頭に迷います。
社長としての責任を果たせない、どうしようと思ったときに、アメリカに行ってみようと決めたんです。
28歳のときです。
当時、英語は「サンキュウ」と「アイラブユウ」しか分からなかったのですが、何かいい商品を探さなくてはという思いで、取りあえず向かいましたね。
アメリカで良い出会いがあったんでしょうか?
紹介してもらった会社を訪問していろんな商品を見て回ったものの、なかなかこれというものはなかったですね。
当時は、日本とアメリカの給与の差が11倍ほどあって、日本の月給が3万円というときに通訳が1日1万5千円もしたんです。
それでお金ももったいないし、もう帰ろうかなと思ったんですが、せっかく紹介してもらったから最後にもう1社寄って行こうと訪問した会社がとても親切にしてくれました。
英語も分からない日本の若造が単身やって来たことに興味を持ってくれて、いろいろ教えてくれたんですね。
その会社は27の事業を展開していて、そこの社長が私にこう言いました。
「アメリカにはすでに日本のいろんな商社が入っているから、物を見ているだけではダメ。『コングロマリット(複合企業)』、経営者ならこの言葉を持って帰って実践してみなさい」と。
同じ思想、同じ資本、同じ人材力を持った会社で異業種を展開すれば会社の成長スピードが加速すると、その社長が教えてくれました。